まんまるな水平線

退屈な日々だから キミに惹かれた訳じゃない

マクベスのすゝめ

「こんな良いとも悪いとも言える日は初めてだ」

 

これは主人公マクベスが一番初めに口にする言葉ですが、最終場でまさにこんな気持ちでした。だって、自担の生首が宙に浮き、天に昇っていく過程をまざまざと見せつけられるんですから…

マクベス、本当に本当に本当に素晴らしい舞台でした。

シェイクスピア作品ということで、発表されてから第一回目の観劇(7/7)までに一番読みやすいと言われている河合訳のマクベスを読んだけど、自分が古典文学に精通している人間ではないからか全く咀嚼しきれていませんでした。正直、2時間半楽しめるか若干の不安があったのは事実。でも観劇された丸山担のみなさんが次々と骨抜きにされていくのをTLで眺めながら、マクベス王に謁見できるのを心待ちにしていました。

そして案の定やられました。お手上げです。一発KO。マルベス様が息を飲むほど精悍な顔つきで、クロニクルで「ワンパックやないか!」とツッコまれていたのが嘘のように身体がバッキバキでこの世のものとは思えないほど美しい…という視覚的な自担への感想を一旦抜きにしても純粋にストーリーに惹かれて、そのままの足で小田島訳のマクベスを買った。基本的に台詞が同じなので脳内で舞台を再生しながら読んだらスッと読めた。面白くて何度も何度も繰り返し読んで、気づいたらマクベスという作品とズブズブの関係になっていました…。読めば読むほど気になる部分が出てきて、第二回目の観劇(7/12)は答え合わせをしにいくような感覚だった。

マクベスの人生は幸せだったのか?」これが第一回目の観劇後に浮かんだイシューです。河合版のマクベスを読んだときは私が日々感じている丸山隆平像とマクベスという人間がイマイチ結びつかず、何故まるちゃんが抜擢されたのか少し疑問だったけど、舞台を観たら一気に腑に落ちた。鈴木裕美さんが描いたマクベス像はこれだったのか…これはまるちゃんにしかできないマクベスだなぁって。

マクベスと夫人はものすごく幸せな夫婦だったと思うのよ。強いけど心優しいという武将あるまじき弱点を持つマクベスを陰で励まし支えつつ時にケツを叩いて、嬉しいことがあれば二人で喜ぶ。喜びも怒りも哀しみも楽しさも二倍。これは夫婦の理想形では?と思いました、例のベッドシーンあたりまでは。

ベッドシーンのマクベスはわんこみたいで可愛かったです。第二回目の観劇の時に行為中マクベスが「もっと!もっとぉ!!!」と言っていて、夫人の前ではちょっぴりMっぽいというマクベスの可愛さ(これもマルベスならではかな)と溢れ出す色気を感じるとともに、アドリブを言える余裕が生まれていることに感動しました。ここ以外にもちょこちょここれ一回目のときは言ってなかったよな?みたいなところがあったので、「舞台は生もの」という言葉を実感して嬉しかった。

からの晩餐会のシーン。大きめの白シャツに細身の黒のパンツを衣装に選んでくださった方は誰ですか?お中元を贈らせてください、割と本気で。スタイルの良さを再認識させられます。またこの白のシャツにダンカン王の返り血が映えるんですよね…ってそれはまた後で。酔っぱらったダンカン王が夫人に指輪あげちゃう♪的なダル絡みをしているとき、マクベスは上手側の階段の中枢で怯えながらその様子を見ているんですが、そのお顔がとても子犬!自分の中の葛藤と不安や恐怖に苛まれるその姿に、今ならまだ戻れるよってそうすればこのままみんな幸せでいられるよって声をかけてあげたくて胸が苦しくなるけれど、もうこの時点で既にマクベスにとっての味方は夫人だけなんだよね。マクベスと夫人は共犯者。

殺害後。自分のやったことが信じられず恐怖で顔が引きつったままのマクベスと彼を褒め称え愛で包み込む夫人…だが、時間が経ってもなお怯え続けるマクベスを叱咤激励する夫人。こういうところがマクベス夫人が悪女だと言われる所以なんだろうけど、震えているんだよ夫人だって。大好きな人がてっぺん取る為に心を鬼にして奮い立たせている。こういうところは男に出来なくて女に出来ることなんじゃないかな。

マクベスの根幹にあるメッセージの一つが「男と女の対比」だと思っています。女の為に本物の男になりたい男(=マクベス)と男の為に心を男のようにして精神面で支える女(=夫人)。でも結局男は男でしかないし、女は女でしかないという辛辣な事実を伝えているけれど。

一番目に見えてわかる男女の対比といえばこれかなぁ。散々物議を醸しているとは思いますが。後半錯乱状態に陥って夢遊病になっている夫人のガウンに付いた結構大きな血の染み。付いている場所が場所なので普通に考えたら生理だよね。あとは子供のいないマクベス夫妻に子供ができた…けど当の本人たちが錯乱状態にあるせいで流れてしまった。この二択かな〜と思うけど、結局夫人は何をどう頑張っても女の腹から産まれた「女」でしかない、ということなのでは。人の血で汚れるマクベスと(男)と自分の血で汚れる夫人(女)…これって彼ら二人の最期(他殺と自殺)を暗示しているようにも見えるね…?深い、海より深いよマクベス

妊娠説が浮上する理由としてはマクベス夫妻に子供がいない、という点が挙げられる。実際「マクベス種なし説」もあるようだし、マクベスを語る上で重要な着眼点だと思うのが「夫妻には子供がいない」というところ。人間って子供が出来たら保守的になるんじゃないかな、と思うんです。守るものが変わるから。もし夫妻に子供がいたら平和なダンカン王の治世を乱してまで自分が上に立とうなんて思わなかったと思うんです。特にマクベスは。だから二人に子供がいれば幸せな人生を送れていたかもしれないんですよね!なんて“人生は歩き回る影法師”。

ちなみに河合訳には台詞の下に補足情報が記載されているんですが、史実上では夫人は前夫との間に子供がいて、つまりマクベスは後夫らしい。だから「私は赤ん坊を育てたことがあります」は事実で、その言葉に対してマクベスが何も言わないのも納得。だって事実だから。

「子供がいない」に着目すると、子供がいるバンクォーを早い段階で殺したのも合点がいくし、そもそも魔物が「バンクォーの“息子”が王になる」と言ったこともわかる。子供がいないマクベスは息子を王にしたくてもできない。バンクォーは友人だけどマクベスにとっては羨ましいと同時に心のどこかで憎むべき存在だったのではないかなぁ。だからマクベスの心の闇を具現化した存在である魔物はそのコンプレックスかつナイーブな部分を突いてきた。でも子供がいなかったからこそ夫妻は二人で共犯となることができた、“二人”で。お互いに深く依存しあっているからこそ「一緒に」破滅へと駆け抜けていったんだよね。

まさにこれだった。マクベス情報解禁時に鈴木裕美さんが仰っていた言葉。付け加えるなら「〜な男と女」かな。

錯乱中のマクベスが夫人に「〜なのだぁ!」と畳み掛けて訴えるところがとても愛おしくて、とても哀しくて好きでした。まるちゃんの持ち味出てた。この二人は恋人のように見えたり、親友のように見えたり、時と場合によって愛の形を変えるなぁ〜と思ったんだけど、ここはさながら親子のようだった。小さな男の子とお母さん。これも子供がいない若い夫妻ならではかな、と。子供がいたらお父さんとお母さんという関係性に落ち着いてしまうでしょう?

全編を通して、こんな時代に産まれてしまったマクベス夫妻が不憫で仕方がなかった。現世だったら絶対に幸せだったと思うんだよこの二人。なんだか二人のことばかり気になって、二人のことばかり考えてしまった。

アレ?マクベスにおける役者丸山隆平の見所を列挙するつもりがマクベスのストーリーについての話になってしまっている…笑

丸山隆平のファンになって、マクベスを生で観劇することができて本当に幸せでした。お陰で見たことのない景色を見ることができたし、マクベスという作品に出会うことができた。文学部出身でもない私がこんなにシェイクスピアのこと考えるなんてそうそうないよ?古典文学の面白さ、そして舞台の面白さ、演出の面白さに目からウロコが落ちまくりの一ヶ月間でした。残すはあと一公演!!!どうか怪我なく無事に駆け抜けていけますよう心から願って。

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PS.今の私にとっての「人生の饗宴における最高の滋養」は関ジャニ∞です。